コンクリート/記憶

 


「万物は流転する」

と唱えたのはヘラクレイトスだったか、ソクラテスだったか。意味も背景もよく知らないが、"全てのことは等しく変わり続ける"そんな意味であればいいなと思った。

なんとなく、ここへ来たいと思った。思い出の場所へ向かう足は無意識を装いながらも、強く意識していた。海辺、あの友人、あの大切な友人と腰掛けたコンクリートの傍に。

思い出をなぞって良かった試しなどまるでないが、それでも何かを期待してしまうのは、僕だけは上手に思い出と付き合えるぞ、という傲慢さからくるものなのかもしれない。

記憶は積層する。絵で見るような綺麗な層ではない。急に大きな力でズンと踏みつけられて凹んだ部分に、乱雑に埋め合わせの記憶が投げ込まれる。

歩く、歩く。やや早足に。道中には目もくれず、たどり着くことだけを目的に。いや、走っていたかもしれない。踵の破れた不似合いな靴で。ズッッ、ズッッ、と鼓動が聴こえる。耳の裏の血管を意識させられるほどに。血液が溜まる。足は既に走り出している。それでも、歩いて来たときより遥かに遠く、遥かに暗い。

ゼェと息を切らす。かつて腰掛けたコンクリートには、初老の男性が気にも止めず腰をかけていた。場所も記憶も、既に僕のものではなかった。知っていた。知っていたけれど、残念だな、残念だなと思った。その名前を気にしていた。コンクリート/記憶

”万物は流転する”

思い出は一度きり、という文字が浮かんだ後に「何か言いそうな割に、安い感じだな。」と笑ってしまった。不思議と耳の鼓動はおさまっていた。

 

手紙の代わりに。

 

 酒を飲む、酒を飲む、酒を飲んでいる。信じ難い量を毎日、いや”本当に毎日”飲んでいる。

最初は心の不健康を押し付けるために飲んでいたような気もする。世界の解像度が下がる、くっくりとした型取りが薄ぼんやりとして、そこがスタート地点になり、住む権利を得たような気持ちになる。しかし、如実に身体が悪い変化を伴ってきたあたりから、一種の免罪符のような効能も薄れ原因に見合っただけの心身の不良という結果が滲み出てきた。
「酒を飲むために部屋を片付けているんですよね」という話をしたことがある。整頓された部屋で落伍者の振る舞いをする。若い体に不似合いな量の酒を飲む。ベッドの上のギター、冷蔵庫のSDカード、他人の下着、他人との生活。"不似合い"とはある意味で際立たす手段なのだと思う。

”若い”という席に、シニカルあるいはアイロニカルにみすぼらしく腰を据えている。いや腰を据えているのはどうも私の意識の内だけであって、陽の当たる褐色のいいレンガから一段ずれ込んだ日陰のコンクリートから傍観しているだけなのかもしれない。
人生はなんとも緩やかに退場を宣言される。いつの間にか伸びてきていた日陰のように。気づいた夕焼けのように。

祖父は膵臓癌で亡くなった。彼に死を悟らせまいと親世代は当人に末期癌であることを隠し続けた。「こんなに病院に行ってるのに、なんで良くならんのんかな」が口癖になった頃、祖父は亡くなった。

死に向かうことは、長く緩い麻酔のようだ。脳細胞が徐々に減り、認識が曖昧になり、善悪の判断が滲んでいく。それは緩やかな麻酔のように徐々に夢の中から暗闇にシフトする。どうも贈り物みたいだなと、そんなことを考えていた。

皆さま、お元気でしょうか。僕は毎日に呆れながらなんとか暮らしています。願わくばこんな日記を最後まで読むことの無い日々を送っていますように。それじゃあ、このへんで。

before the dawn

 

リュックを失くしてしまった。

日に焼けたシャツとインナー、穴の開きかけた靴下、そしてインスタントカメラ。大したモノは全く入っていないが「失くした」という実感がずっしりと残っており、ここ数日やや心地が悪い。

喪失感と呼ぶにはあまりにも大それているが、容易に切り替える為の理由も見つからず、

"実は気に入っていたのか?でも気に入っていたにしては戻ってきて欲しいモノがない。"

なんてことをぼんやりと頭の片隅のスペースで考えさせられている。

 

似たような物悲しさを知っている。不用品を売った時、期限切れの調味料を捨てた時、もう会わなくなってしまった人の連絡先を消した時。

 

昔の僕が考えていた、当時の延長線上の未来からは大きく逸脱した今を生きている。少なくとも今の僕にあのリュックやシャツ必要ないものになってしまったし、よく顔を突き合わせていたはずの、かつての友人たちを失ったこと、それ自体を悲しく思うことはない。未来を見誤っていたのだろうか。それとも、いつからか薄ぼんやりとし始めた視界が、真っ直ぐ歩くことを遮ってしまったのだろうか。

 

過去の僕からしたら悲しいことなのだろう、でもその悲しさの訳すら、僕にはぼんやりとしかわからない。そしてそれが、どうしようもなく悲しい。

 

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砲弾に撃たれて死んでしまう夢を見た。即死だった。でもこの世から消えるまでの猶予をもらって、自分が死んだことを伝えに行った。

 

実家に行くと、喪服を着た母と兄がいて、母が僕の顔を見るなり「そうか、そうなんだね」と言った。僕はコンクリートに両膝をついて「この度は....〇〇〇〇....」なんて仰々しく自分の死を伝えた後に、「でも善戦してね、相手を引き止めるのに一役買ったんだよね」とやや大袈裟な功績を伝えつつ、それじゃあ。と口にしてその場を離れた。

意外にも残された時間が多く、携帯の連絡先を見ながら自分の死を伝える相手を選んでいた。こんなことを伝えたい相手すら矢継ぎ早に出てこない、なんと希薄な人生だと落胆しつつ、地元の友達に電話をかける。

「やぁ、俺、実は死んでしまってさ。」「なんかそんな気がした。さっき車でみんなで話してた」ガヤガヤと喋る車内の声のせいで、うまく会話ができない苛立ちを抱えて、電話を切る。

 

夢はそれで終わり。最後まで嘘をついて、自分の思い通りにいかなければ腹を立てる。そして、独りには持て余す、長く短い時間を過ごしながら、眠りにつく。

i am no longer afraid to

 

どうも日記を書くことの期間が開いてしまった。

新しくしたはてなブログの勝手がまだわかっていないこと、PCのキーボードが壊れ、代わりに買ったワイヤレスキーボードのキー配置がおかしくて気持ちが悪いこと。

それらしい理由を挙げればキリがないが、つまるところ、やる気がなかったと言うのが正しい。

「したいこと・できること」
生活は努力義務で、義務ではない。誰も見ていない。いつだって片付けはやめていい、インスタントな食品を食べていい、シワだらけで穴の空いた服を着ていい。
それなのに床を拭き、タオルを入れ替え、シーツを洗い、惣菜を皿に出し、色褪せた服を捨て、誰も読んでいない日記を書く。

共感できる相手は大事だ。そんなこと僕が一番よく知っている。それでも一人になりたいと、人と距離を置きたいと思ってしまうのは、ひねくれた性のせいなのか、あるいは感覚の警鐘なのか。
会話にはババ抜きのような節があると思っている。同じ札を場に出すと霧散して消えてしまう。俺はそれが怖いのかもしれない。同方向の質量の衝突、近似すればするほど感じる繊細な違い。互いの距離はゼロだが、背中をひっつけて反対の方向を向いている。

悩みが少しもない暮らしも、不思議と痛みは消えはしないので
どうもこれは生来の咎なのかもしれないねと、諦めにも似た表情をしているしかない。

 

 

 

ちょうど、熱帯魚を飼いました。気温の落ち着いたこの季節に熱帯魚を買うのが決まりになりつつある。恒例行事、ルーティーン。まるで2年前のような今日は、熱帯魚を買ったこと以外のあらゆることがあの日と違って、浮き彫りになった変化に心が沈んだだけで、あぁやっぱりルーティーンなんて作るものじゃないな、と思った。

最後に言われたのは「良かったなら、よかった」だった。日本語はよくできているのに、言葉はとても不自由だ。遠慮がちで歪曲的な言葉は、嫌な鈍さを纏っていて、直接的な言葉の方が幾分かマシに思える。

インスタントの食品、出来合いの音楽、僕に好意のある人間。軽率に得られる感動に受け身になって、漠然とした消失感だけが残った。みんな誰かになりたかった。みんなどこかに行きたかった。みんな誰かに愛されたかった。「良かったなら、よかった」って何だ?結局は使う側の冥利なんだと思ってしまう。店は素通りする人のために。田舎は都会の人のために。音楽は聴く人のために。今にも忘れられそうな商店街で、ポツリとお店を開きながら、素通りする人をぼんやりと眺めているような気分だ。目は空いているが、現実感が無い。もし偶然訪れたお客さんが何かを買って「嬉しい」と告げれば、あるいは僕も「良かったなら、よかった」と言うのかもしれない。

「街を1つあげる。」と言われたらどうしよう、と考えていた。

 

唐突に今僕が住んでいる街の半径5キロメートルが無人になって、自分のものになったとしたら僕はどう生きるだろう。
僕はきっと歩く。端から端まで。少しづつ、波紋を広げるようにグルグルと歩いて、フェンスの裏を覗いて、コンクリートの下側や、影になっているところを覗き込んで、綿密に自分用の地図に書き込んで、満足げに、自慢げに仕舞い込むだろう。

 

人はどうするだろうか。ガードレールを叩きながら歩くかもしれない。路傍に花を植えるかもしれない。お気に入りの家屋を見つけて小さく暮らすかもしれない。あるいは「ここには何もない」と街を見限るかもしれない。

 

昔の恋人が「知らない人でも、顔や風体を見ればどんな人かを予想できるし、それは大方当たる。」と言った時に、僕は憤慨して「それは願望と諦めで、存在の否定だよ」と言った。僕より遥かに上手に生きていた彼女に向けて。

街の詳細な地図を持っていることと、良さを知っていることはイコールではなかった。「この河、一見綺麗に見えますけどね、朝方に来てごらんなさい。干上がって、水底の魚の死体が見えますよ。」なんてことを、人は知りたく無いのだ。抽象的に"河"だと認識してしまったほうが都合がいいのだから。

大通りを快速で駆け抜けた彼女と、伏目がちに歩いた僕。明瞭度は一目瞭然だった。

今年もまた春が近づいている。四季全てに難癖つけている僕でも、特に春が嫌いだ。気温以外のいいところが見出せないくらい嫌いだ。恩着せがましい別れの冥利に年々嫌気が増している。

あらゆることで、別れ際に全てを許してしまうのをやめたい。「色々あったけど、なんだかんだ良いところもあったよね。」なんて美談で終わらしてしまうのはもうやめにしよう。と毎年思っている。ずっと嫌いでありたい。空白に色をつけてしまうのをやめたい。何かの拍子に再開した時に「あぁ、やっぱり嫌いだ!良かった!」と思いたい。「いろんな嫌なことがあったけど、全部を飲み込んだら楽になったよ。」じゃないんだよ。好きか嫌いかすら、あったようにねじ曲げて飲み込んだ自分は、自分なんですか。好きか嫌いかくらい自分本位じゃダメですか、ダメなんだろうな。コンクリートの裏のことまで書いてあるような縮尺の地図は、人生に必要ないらしい。