「万物は流転する」
と唱えたのはヘラクレイトスだったか、ソクラテスだったか。意味も背景もよく知らないが、"全てのことは等しく変わり続ける"そんな意味であればいいなと思った。
なんとなく、ここへ来たいと思った。思い出の場所へ向かう足は無意識を装いながらも、強く意識していた。海辺、あの友人、あの大切な友人と腰掛けたコンクリートの傍に。
思い出をなぞって良かった試しなどまるでないが、それでも何かを期待してしまうのは、僕だけは上手に思い出と付き合えるぞ、という傲慢さからくるものなのかもしれない。
記憶は積層する。絵で見るような綺麗な層ではない。急に大きな力でズンと踏みつけられて凹んだ部分に、乱雑に埋め合わせの記憶が投げ込まれる。
歩く、歩く。やや早足に。道中には目もくれず、たどり着くことだけを目的に。いや、走っていたかもしれない。踵の破れた不似合いな靴で。ズッッ、ズッッ、と鼓動が聴こえる。耳の裏の血管を意識させられるほどに。血液が溜まる。足は既に走り出している。それでも、歩いて来たときより遥かに遠く、遥かに暗い。
ゼェと息を切らす。かつて腰掛けたコンクリートには、初老の男性が気にも止めず腰をかけていた。場所も記憶も、既に僕のものではなかった。知っていた。知っていたけれど、残念だな、残念だなと思った。その名前を気にしていた。コンクリート/記憶
”万物は流転する”
思い出は一度きり、という文字が浮かんだ後に「何か言いそうな割に、安い感じだな。」と笑ってしまった。不思議と耳の鼓動はおさまっていた。