シーサイド・ブルー


君は 日々忘れ 今をあり合わす
間に合わせの命かい?
波を待つ 髪立ち 揺れ今
靡き立つ 日々は憂いと近い


さざめきは 浮かんだ様相で 方法を返した
半透明な 甘えた表情で 行動を試した


日々は 君忘れ 今を間に合わす
ありあわせの誓い
何を待つ?旅立ち 揺れ今
何を待つ?波は既にもう近い


それ以上を見ようとした 日々覆いたい者同士は
知る以上の日 老いた事知らず もうとうになく


日々忘れ今を担う
君忘れ今を担う

安心

 

久しぶりの休日に「よし、それでは。」と柄にもなくキッチンに立ち余り物の食材を使って料理を始めてみる。野菜を丸齧りしてたまにパスタを茹でるだけの生活に嫌気がさし、いや正しくはずっと嫌気はさしているのだけれど、特別見直すようなこともなくダラッと過ごしている。そんな毎日へ「いつだってこうではないですよ」というスタンスを向けキッチンへ立つ。やけに綺麗で広いキッチンに、古ボケたまな板が転がっている。サク、サクとレタスを切ってみるけれど、どちらに向けて切れば綺麗に細く切れるのかもまだ知らない。やたら歯応えのありそうな見た目に仕上がったところで少し水に晒し、水をきったレタスをザッとフライパンへ放り込む。ここから先は説明するのも憚られるが、何かで聞き齧ったような組み合わせの食べ物を切っては放り込み、普段見ることもない調味料たちを目についた順に放り込んでいく。当然満足のいくものができるはずもなく、やたら歯応えのあるコゲたキャベツの炒め物ができた。肝心の味は見た目の倍ほども美味しくない。食材と体力で損の二乗だ。と思いながらも「まぁ体に悪いものが入っているわけではないし」と言い聞かせ口に入れる。箸はやけに重い。でもこれで上手に作れるのなら普段から料理を作っている人に申し訳ないし、普段料理を作らない僕の都合の良い料理は不味くあるべきなのかもしれないな。と思いつつ、仕方なく冷凍庫に入っていた鶏肉を少し焼きワインを飲んでいる。父が休日思い立ったように作ってくれた料理はやけに味が濃くて美味しくなかったことを頭の片隅で思い出していた。もう古ぼけた感情かと思っていたけれど悲しさや後悔があって、そりゃ急に上手くはいかないよな。でももう少し色んなことが思い出したタイミングで上手にできやしないものですかね、頼みますよ、と思っている。こんな感情を整理するための手段である日記もやはり、離れていただけあってスムーズにはいかない。言い表す言葉は オヨヨ でしょうか。

ポストロック万歳

 

〇〇歳までに結婚する、〇〇歳までに何処で暮らす、そして〇〇歳で死ぬ。よくある簡単な人生計画みたいなモノを思い描いたときにいつも、レーシング場のチェックポイントが頭に浮かぶ。ぐるり、車体ごとコーナーに突っ込んだりエンジンがオーバーヒートを起こさない限りはゴールにたどり着ける。僕の頭のレーシング場は道が2本に分かれていたり、はてしない直線があるのだけれど、チェックポイントは必ず通れるようになっている。

LOSTAGEとの共演が決まった。嬉しい。こんなに心から嬉しいことはそうない。僕の人生のチェックポイントは常にLOSTAGE、あるいはlostageと共にあったといっても過言ではない。人が食事で場面を思い起こすように、僕は音楽で昔のある場面を思い出すことが多々あるし、そういった記憶のシーンで流れている音楽の大半がtoeLOSTAGEだ。

思えば「四国のポストロックバンド」の肩書き(レッテル?)でこじつけたビッグネームとの共演も多い。toddle,bacho,sow,aiming for enrike,突然少年,e;in,sans visage,Mass of the fermenting dregs,my young animal,nim,SEMENTOS,裸体etc.....

年々同年代が減っていって、僕らへのお声がけが増えてきた。そこについにLOSTAGEとの共演が舞い込んできた。ラッキー&棚ぼた上等。自分の目指していたチェックポイントに到達したことを少しだけ褒めたい。でも忖度ブッキングで一度会ったことを自慢しつづける元気も無いので、出来れば僕らも良くありたい、とずっと思っている。

「都会の凄いバンドが四国へ来るときに、彼らに憧れた田舎の若者が似た音楽を披露する」構図が四国には往々してよくあるし、それ自体は何も間違っていないのだけれど、そこに対等なイメージの共有がない感じがして、なんとも言えない物悲しさを感じていた。

なのでここ1年くらいは「自分たちも良くあろう」とお互いに言葉にしてきた。おかげもあって、少しずつ良くなっている、と思っている。凄くなっているかは分からない。けれど、気負けすることも減ったし、何より「その場に居なかった」みたいなあの行き場のないやるせ無さに締め付けられることは確かに減った。一歩前進。やるぞLOSTAGE。彼らにこの愛を捧ぐ。ハンドルを自分の意思で握って、僕らなりの最高到達点を。

日記

 

Macbookを買い替えた。正しくは壊しきってしまったので買い替える必要があった。

画面は割れてほとんど何も映らない。酒をこぼしたキーボードはベタついているし、外れている箇所が3箇所もある。その影響か左右のスピーカーはバリバリと音割れを起こして全く使い物にならない。落とした傷もある。我ながらよくここまで壊したものだと思う。

15万円程度で買ったmacbook。捨てる以外に使い道は無いと思いながら「廃棄してくれるかも。」と売りに行ったら何故か4万円くらいで売れた。僕には見いだせない使い道を知っている人がいるのだと思うと不思議な気持ちになった。

デジタルの時代に取り残されている。仕方なくアナログ中心の生活と環境に身を置いている。バンド活動をしている周りのみんなはアナログの良さをひっきりなしに語っている。「人の温かみ」「横の繋がり」「どこにいるかは関係ない」なんて言いながら、彼らの憧れた音楽家は残らず都会と大舞台に身を置いている。「地元の名産を作る、都会に本社がある大企業」みたいな話で、この気持ち悪さを払拭しないまま地方にいるのはやっぱり嫌だなと思ってしまう。

僕の使いこなせなかったMacbookも僕に「もっとまともに使ってくれればなんでもできたのに」と思っているだろうな。

君たちはどう生きるか」を公開日の2日前に知り、公開日の朝8:00-10:00に観に行った。ジブリ映画なんてほとんど観たことも無かったが、まさか取れまいとネットでみた空席情報がガラガラだったので行くことに決めた。当日6時頃に目を覚まし、目を擦りながら準備をしていたら8:04分に映画館についた。「君たちはどう生きるか」の看板に朝から説教を食らった感覚で「ハイハイ私は自分で決めた予定もちょっと遅れるような人間ですよ」と思いながら映画を観た。公開日の朝イチだった上に、事前考察みたいなものもモチロン知らなかったので、否が応でも情報の入ってくるこの時代に全くフラットな状態で何かを享受できる感覚が気持ち良すぎて終始トランス状態だった。目を開けて瞑ったら映画が終わっていた。そんな感覚。内容それ云々より、情報の無いイメージを吸い込む感覚が本当に最高だった。

音楽のセオリーみたいなものが一次的な感覚を阻害する。好きなアーティストのライブを観たくなくなってしまった。良さが担保されたものを享受することに寂しくなるようになってしまった。20代の感覚があるうちに何かを作りたい、という激しい焦燥感に駆られてしまっている。でも勢いだけで作るには、お手本が足元に敷かれすぎている。自分が敷いたマットの柄に慣れてしまった。今手元にある似たような柄を仕上げることに虚しさを感じてしまった。それでも、他を知らない。それがどうにも虚しさを一層駆り立てる。

 

 がらん がらんと 激しく洗われてみたい。
使い古した洗濯機を回しながら、浮かんでは消える端材のような言葉を眺めていた。

アナログであることが美しいと思われる時代に差し掛かっている。そんな世の中の流れに若干の心地悪さを感じている。アナログであること、そのものにはあまり意味がないと思っている。人間の作業に付随する「温かみ」だなんだと言うけれど、結局それは”荒さ”を満足のいくような言葉でひた隠しにしているだけなんじゃないかと思ってしまう。
電卓にも劣る計算能力で自動運転を批判し、遠くに行くことを目的にしながら、走る練習ばかりしている。隣の人が自転車を持っていることを知りながら、その脆弱性や欠陥ばかりに目を凝らし、100度に1度の勝利に目を腫らして泣いている。そういう不自由さが好きなんだよね。と言い訳に似たことばかり言って、無知を愛している。

他人を愛したいが、誰かに愛して欲しいわけではない。曲を作りたいが、音楽を聞きたいわけではない。何か言いたい。この込み上がる熱情を現したい。深く潜る。誰かに見せたい感情を、誰にも見せまいとするために。
がらんがらんと、激しく洗われてみたい。置いてけぼりの感情にたどり着くために。

この惨めな夜を

 

この惨めな夜を、惨めなままで終わりたいのだ。

そんな一文が頭の片隅に浮かんでいた。
久しぶりのキーボードの感触は指先には重すぎるように感じるし、パソコンの画面はどうも明るすぎるように感じる。それでもなんとなくこの不便さを楽しんでいる。この微かな憂鬱をあえて選んだ自分を嬉しく思っている。あえて不便を選ぶ。退屈を満喫するのではなく、とことん退屈になってしまいたい。

履き慣れたスリッパ、定位置の持ち物、決められた関係。当たり前の日常が馴染まなくなってきた頃、時間の経過を感じる。

今を生きる、と言いながら今を生きることすらままならない。いつかの話なんてできそうにもなく、未来のために種を植えた人の横で未来用の種を食べている。それでも今日は満足に生きれそうにない。


この惨めな夜を。惨めなままで終わりたいのだ。解決しようとしてはいけない。周到に用意してきた言葉の頭をつまづこう。散らばった部屋を散らばったままにして眠ろう。

「居心地が悪いところ、嫌いじゃないんですよね」と言ったのは嘘で本当で、できれば会うたびに抱き合わなくてもいいように、もう少しだけ会えればいいのだけれど、と思っている。

 

便箋

中学校の時「20歳になった僕へ」というタイトルで手紙を自分宛に書いた。授業の一環で書いたものだったのでその当時の担任の先生が「私が責任を持って20歳の皆さんに届けます」と言ったのを覚えている。その手紙は20歳になっても、いや26歳になった今でも届いていない。実家の住所は変わっていないけれどなぜか届いていない。内容はなんとなく覚えている。「20歳になった僕は学校の先生になっていますか。英語の先生になっていますか」そんな内容だったと思う。当時20歳は大人だと思っていたので、なんらかの職についているはずだという謎の認識があった。あの手紙はまだ届いていない。

「これから毎月、曲を1曲作って提出します。」と声高々に言ったのはいつだったか。自分を鼓舞するための決意表明はどうも緩やかに降下し、意識の水面下に潜ってしまった。やらなきゃな、なんてことを思いながら「義務感を持つとうまくいかないんだよな。」と自分用の定型文で自分に返事をする毎日が続いている。
キーボードが壊れているので日記を書くのが滞っています。休みが合わないので恋人に会うことができません。義務感が生まれて凝り固まってきたので曲が書けません。
口をついて出るのは枕詞に言い訳を採用したモノばかりで、「だから」「いや」なくして会話が始まらない。

 

父はよく同じ話をする人だった。何度も何度も同じ話をする人だった。昔体操で評価されていた選手だったこと、ギターを抱えて東京に出たこと、豪雪の中ワイパーの壊れたトラックを運転したこと。何度も、何度も同じ話をしていた。「この間も聞いたよ」とは言いだせずにいた。風景や登場人物が、回を追うごとに変わっていることに気づいたからだ。
眼前の情景をありありと語るような父は、以前と全く違う話をしていた。まるで取り続けたコピー、褪せて文字の濃淡もわからなくなった”何か”を大事そうに持つ父に言いようのない不安を覚えた。もはや記憶は父のモノではなかったし、事実もまた、今の父に作用してはいなかった。それでも父に「以前も聞いたよ」というのは間違いな気がした。

 

「昔と今を比べた時にあまりにも乖離があって、自分の記憶じゃないみたいなんですよね」と誰かに相談した時に「変わった理由を覚えていれば大丈夫」と言われてなんとなく腑に落ちたことがある。今となってはそれを誰に言われたのか、正しい記憶なのかも分からない。あの手紙はまだ届いていない。内容も実は全く違うかもしれない。それでもどうやら僕もまだ昔の記憶に生かされているようだし、昔の記憶は確かに僕に作用している。