日記

 

Macbookを買い替えた。正しくは壊しきってしまったので買い替える必要があった。

画面は割れてほとんど何も映らない。酒をこぼしたキーボードはベタついているし、外れている箇所が3箇所もある。その影響か左右のスピーカーはバリバリと音割れを起こして全く使い物にならない。落とした傷もある。我ながらよくここまで壊したものだと思う。

15万円程度で買ったmacbook。捨てる以外に使い道は無いと思いながら「廃棄してくれるかも。」と売りに行ったら何故か4万円くらいで売れた。僕には見いだせない使い道を知っている人がいるのだと思うと不思議な気持ちになった。

デジタルの時代に取り残されている。仕方なくアナログ中心の生活と環境に身を置いている。バンド活動をしている周りのみんなはアナログの良さをひっきりなしに語っている。「人の温かみ」「横の繋がり」「どこにいるかは関係ない」なんて言いながら、彼らの憧れた音楽家は残らず都会と大舞台に身を置いている。「地元の名産を作る、都会に本社がある大企業」みたいな話で、この気持ち悪さを払拭しないまま地方にいるのはやっぱり嫌だなと思ってしまう。

僕の使いこなせなかったMacbookも僕に「もっとまともに使ってくれればなんでもできたのに」と思っているだろうな。

君たちはどう生きるか」を公開日の2日前に知り、公開日の朝8:00-10:00に観に行った。ジブリ映画なんてほとんど観たことも無かったが、まさか取れまいとネットでみた空席情報がガラガラだったので行くことに決めた。当日6時頃に目を覚まし、目を擦りながら準備をしていたら8:04分に映画館についた。「君たちはどう生きるか」の看板に朝から説教を食らった感覚で「ハイハイ私は自分で決めた予定もちょっと遅れるような人間ですよ」と思いながら映画を観た。公開日の朝イチだった上に、事前考察みたいなものもモチロン知らなかったので、否が応でも情報の入ってくるこの時代に全くフラットな状態で何かを享受できる感覚が気持ち良すぎて終始トランス状態だった。目を開けて瞑ったら映画が終わっていた。そんな感覚。内容それ云々より、情報の無いイメージを吸い込む感覚が本当に最高だった。

音楽のセオリーみたいなものが一次的な感覚を阻害する。好きなアーティストのライブを観たくなくなってしまった。良さが担保されたものを享受することに寂しくなるようになってしまった。20代の感覚があるうちに何かを作りたい、という激しい焦燥感に駆られてしまっている。でも勢いだけで作るには、お手本が足元に敷かれすぎている。自分が敷いたマットの柄に慣れてしまった。今手元にある似たような柄を仕上げることに虚しさを感じてしまった。それでも、他を知らない。それがどうにも虚しさを一層駆り立てる。