がらん がらんと 激しく洗われてみたい。
使い古した洗濯機を回しながら、浮かんでは消える端材のような言葉を眺めていた。

アナログであることが美しいと思われる時代に差し掛かっている。そんな世の中の流れに若干の心地悪さを感じている。アナログであること、そのものにはあまり意味がないと思っている。人間の作業に付随する「温かみ」だなんだと言うけれど、結局それは”荒さ”を満足のいくような言葉でひた隠しにしているだけなんじゃないかと思ってしまう。
電卓にも劣る計算能力で自動運転を批判し、遠くに行くことを目的にしながら、走る練習ばかりしている。隣の人が自転車を持っていることを知りながら、その脆弱性や欠陥ばかりに目を凝らし、100度に1度の勝利に目を腫らして泣いている。そういう不自由さが好きなんだよね。と言い訳に似たことばかり言って、無知を愛している。

他人を愛したいが、誰かに愛して欲しいわけではない。曲を作りたいが、音楽を聞きたいわけではない。何か言いたい。この込み上がる熱情を現したい。深く潜る。誰かに見せたい感情を、誰にも見せまいとするために。
がらんがらんと、激しく洗われてみたい。置いてけぼりの感情にたどり着くために。