便箋

中学校の時「20歳になった僕へ」というタイトルで手紙を自分宛に書いた。授業の一環で書いたものだったのでその当時の担任の先生が「私が責任を持って20歳の皆さんに届けます」と言ったのを覚えている。その手紙は20歳になっても、いや26歳になった今でも届いていない。実家の住所は変わっていないけれどなぜか届いていない。内容はなんとなく覚えている。「20歳になった僕は学校の先生になっていますか。英語の先生になっていますか」そんな内容だったと思う。当時20歳は大人だと思っていたので、なんらかの職についているはずだという謎の認識があった。あの手紙はまだ届いていない。

「これから毎月、曲を1曲作って提出します。」と声高々に言ったのはいつだったか。自分を鼓舞するための決意表明はどうも緩やかに降下し、意識の水面下に潜ってしまった。やらなきゃな、なんてことを思いながら「義務感を持つとうまくいかないんだよな。」と自分用の定型文で自分に返事をする毎日が続いている。
キーボードが壊れているので日記を書くのが滞っています。休みが合わないので恋人に会うことができません。義務感が生まれて凝り固まってきたので曲が書けません。
口をついて出るのは枕詞に言い訳を採用したモノばかりで、「だから」「いや」なくして会話が始まらない。

 

父はよく同じ話をする人だった。何度も何度も同じ話をする人だった。昔体操で評価されていた選手だったこと、ギターを抱えて東京に出たこと、豪雪の中ワイパーの壊れたトラックを運転したこと。何度も、何度も同じ話をしていた。「この間も聞いたよ」とは言いだせずにいた。風景や登場人物が、回を追うごとに変わっていることに気づいたからだ。
眼前の情景をありありと語るような父は、以前と全く違う話をしていた。まるで取り続けたコピー、褪せて文字の濃淡もわからなくなった”何か”を大事そうに持つ父に言いようのない不安を覚えた。もはや記憶は父のモノではなかったし、事実もまた、今の父に作用してはいなかった。それでも父に「以前も聞いたよ」というのは間違いな気がした。

 

「昔と今を比べた時にあまりにも乖離があって、自分の記憶じゃないみたいなんですよね」と誰かに相談した時に「変わった理由を覚えていれば大丈夫」と言われてなんとなく腑に落ちたことがある。今となってはそれを誰に言われたのか、正しい記憶なのかも分からない。あの手紙はまだ届いていない。内容も実は全く違うかもしれない。それでもどうやら僕もまだ昔の記憶に生かされているようだし、昔の記憶は確かに僕に作用している。